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2023.09.25 日常

「目指せ!日本語マスター!」【9月コラム】

第7回コラム

目指せ!日本語マスター!

改めまして当教室のホームページ管理人を担当しております、信州大学呼吸器外科の原大輔(卒後13年目)と申します。
いつも御覧いただきありがとうございます。

 

医学の世界では、英語に関する能力を求められることがたびたびあります。論文はやはり英語で書き上げてこそ後世に残す意味があり、国際学会に行けば当然英語でプレゼンや質疑応答をしなければならず、留学した先では日本語を使えるはずもなし…というのは共通認識です。もちろん私としても、英語能力が必要であることに異論などあろうはずもありません。

だがしかしあえて言いたい。日本人に生まれた以上、日本語の素晴らしさもまた深く理解して生きるべきである、と。

 

私の考える日本語の魅力とは、なんといっても奥深いストーリー性表現の豊かさにあると思います。

まずストーリー性の奥深さが何故に生まれるのかといえば、それは主として構文に由来していると思います。

例を挙げれば、英語ではS+V+Oのように主語の次にやってくるのは動詞、目的語はその後ろに位置します。
「I love you」を順番通りに訳すと「私は、愛しています、あなたを」となるわけです。「愛している」という結論を先に伝える合理的な構文といえます。しかし日本語ではこうは伝えません。「私は、あなたを、愛しています」の順になります。

嗚呼…なんともあはれなり、と。「私は、あなたを…」の時点で、まだ結論が出ていないわけです。「私のこと…好きなの?嫌いなの?」という聞き手のもどかしさが垣間見えるようです。
日本語ではこのように、結論を最後までタメる、いわば「じらし、もったいぶる」というような構文をしています。

これが世界的にはまどろっこしいとか、はっきりものを言わないだとか評されてしまうわけですが、いやいやこれこそが日本人の日本人たる性根、「おくゆかし」の文化だとは思いませんか?

  当時の「おくゆかしい」女性には、「好奇心旺盛系女子」という今と逆の意味があったとも。

 

 

またストーリーは、一つの単語の中にすら存在しています。それが語源です。

  これはゴーギャンです。

有名な例で言うと、『昔最強の矛と最強の盾を同時に売り出している商人がいて、それをぶつけるとどうなるんだ、と町人に言われて困り果てた、という逸話から矛盾という言葉が生まれた』みたいなやつです。誰しも一度は聞いたことがあるエピソードですが、私は幼い頃からこういう話が大好きでした。まぁ矛盾は、日本ではなく中国の故事(韓非子)が由来ですけれども。

おそらくきっかけは「ごまかす」という単語で、確か小学生のときに国語の教科書のコラムで読んだものだと思いますが私が語源好きになるきっかけを与えてくれた思い出深い単語です。

江戸時代にとても美しそうな胡麻の香りがするお菓子が売られていたのですが、実際に食べてみると中は空洞でまさに見かけ倒しであったという話がありました。
これに由来して、外だけどうにか取り繕って中身の伴わないことを「ごまかし」と表現するようになったそうです。

  香ばしい香りがするのに中身スカスカなこのお菓子は「胡麻胴乱」というそうです。

そしてその後、両親が私へ何気なく買い与えた「マンガで覚えよう日本のことわざ」みたいな3冊セットの本と出会い、小学校…4~5年?の頃、3冊をエンドレスループで読みまくったのでした。四字熟語も面白かったのを覚えていますが、とにかくどうしてこういう言葉ができたのかという由来を多く載せてある名著であり、ひたすら読んで両親にことわざのクイズを出してもらうのにドハマりしていました。今思うと嫌な子供です。
ありがたいことに今でもその本に載っていたことわざはすべて覚えています。まさに三つ子の魂百までということわざのとおりです。

同様に慣用句の語源なんかも、調べると実に面白いです。
私はいまだに「これは?」と思うものはすぐ語源を調べる癖がありますので、スマホ全盛期になってなんでもすぐ調べられる時代に大変助けられています。お気に入り例を少しご紹介します。

けりがつく
 物事の決着が着くことを指しますが、これは古文が由来です。
 和歌や俳句などでは過去・詠嘆の意味を持つ助動詞の終止形「けり」がついて終わるものが多いため、と言われています。

一か八か
 伸るか反るかなどと同じ意味で、大勝負に出ることを意味していますが、なぜ「一」と「八」なのか。
 諸説ありますが、昔のサイコロ賭博である丁半博打の「」と「」の上の部分を指しているという由来が有力です。

いや実に楽しい…もちろん英語にもことわざはたくさんありますし、日本のことわざに対応するものも多くあってそれを調べるのもまた楽しいですね。しかし昔の人の言葉を作るセンスや、慣用句の多さには、同じ日本人として頭の下がる思いです。

  頭が下がる、も慣用句ですね。

 

そしてもう一つの魅力である表現の豊かさが、我々臨床医にとって欠かせない必須教養ではないかと思っています。

特に英語にはない「助詞、助動詞」を我々は普段何気なく使いこなしていますが、これが日本語を、世界でも極めて難易度の高い言語に押し上げています。
これに関して私が大好きな、森田良行先生(早稲田大学日本語研究教育センター初代所長、など)の名著「助詞・助動詞の辞典(東京堂出版)」の冒頭の一説のエピソードをご紹介します。

昔、江戸時代の歌人である香川景樹のもとを訪ねた人がおり、自信作の句について意見を求めた。その句というのが
米洗ふ 前に蛍の 二つ三つ」というものであった。褒められるとばかり思っていたが期待に反し、景樹は
米洗ふ 前蛍の 二つ三つ」と朱を入れて、返したという。

「米を洗う前に」、とくればどうしても結びの言葉は「蛍が二つ三ついる」となってしまいます。
助詞の「」は「そこにいる」などのように存在の意味を含むため、蛍が静止してその場にいるような情景しか浮かびません。
しかしこれが「米を洗う前」、ときたらどうでしょう。確かにそこには飛んでいる蛍の姿が描かれ、また「二つ三つ」とあるため飛び交う蛍の躍動感が増しています。
これが同じ動きを与えるにしても、「米を洗う前」では、近づいてくる直線的な動きを彷彿させるため、ゆったりと飛び交うような蛍に独特のあの動きが活かされていないのです。

  長野県辰野町公式HPより。やはり蛍の動きは幻想的な曲線が定番なんです。

 

日常の医療の場でも、日本語でプレゼンしているのであれば同じことです。

例えばある手術症例において、1日目と3日目に採血検査をしているとします。
白血球が10000→6000、CRPが5→5であったときに、この内容をカンファレンスでプレゼンする場合を想定しましょう。

医師Aは「白血球数は10000→6000と低下しました。CRPは5のまま横ばいです。」と述べました。
医師Bは「白血球数は10000→6000と低下しました、CRPは5のまま横ばいです。」と述べました。

医師Aはただ数値を報告しているにすぎず、そこには考察も何も含まれていません。
しかしたった一文字「」と付け足しただけの医師Bのプレゼンには、「白血球数は下がったけどまだCRPは下がっていないので、私は抗菌薬を終了するのは早いと思います!」というような主張を感じませんか?
日本語を上手く使えれば、簡潔でかつしっかり考察や方針を乗っけたプレゼンが可能になるのです。

  上手なプレゼンには上手な日本語が不可欠なのです。

 

さて、いかがでしたでしょうか。日本語って、なんとも奥深いとは思いませんか?
普段意識せずにこのような複雑な言語を使いこなしている我々日本人、実はものすごく高度な会話をしているんです。

私はこの、様々な助詞や助動詞が複雑に彩りをしながら、最後に待ち受ける結論まで、そこにストーリーが創られていく道のりが大好きです。そこに至るまでの工程を楽しみながら言葉を選び並べていくのが、日本語構文の最大の魅力だと思っています。

日本語は生涯勉強可能なとても楽しい語学です。私は現在日本語検定2級を取得していますが、いつか1級取得に挑戦してみたいと思っています。普段使っている日本語力の腕試しなのであえて勉強しなくてよいのが魅力です。興味がある人はぜひ、一緒に受検しましょう!

  日本語検定公式マスコット にほごん

(文責:原大輔)

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