お知らせ

2023.06.20 日常

心を躍らせること【6月コラム】

第4回コラム

第4回となりましたコラム記事ですが、先月、先々月と続いた新スタッフ自己紹介コラムとは打って変わって、今回からは徒然なるままにスタッフが語らう本来のスタイルに戻ります。
今回は、大学院生スタッフである三島が、日常で心を躍らせる術についてお届けいたします。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

心を躍らせること

教室HPをご覧の皆様、初めまして。6月コラムは私、三島修治が担当します。

まずは簡単に自己紹介をいたします。私は現在社会人大学院生として、博士号を取得するために日夜研究に勤しんでいます。研究テーマは“肺癌に対する新規キメラ抗原受容体T細胞療法(CAR-T)の開発”で、小児医学教室と共同で研究を行っています。このCAR-T療法は、根治が難しいと判断されたがん患者さんにとって大きな希望となる新しい治療法の一つとして大変注目されています。もしご興味があれば、当科あるいは小児医学教室のサイトをご覧いただければと思います。

 →当教室HP:https://shinshu-surgery.jp/thoracic/about/research.php
 →小児医学教室HP:http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-shoni/car-t/

また、去る5月16日には、日本テレビ“カズレーザーと学ぶ。”内で小児医学教室の中沢洋三教授がCAR-T療法について非常にわかりやすく解説されています。Huluなどの動画配信サイトで視聴可能ですので、こちらも是非ご覧になってください。

さて、タイトルを“心を躍らせること”と題したとおり、今月のコラムは私が密かに(?) 心を躍らせていることについてお話したいと思います。突然ですが皆さんは、よいことがあった日だけでなく、代わり映えしない一日、あるいは嫌なことがあった日でも、何か心を躍らせるような瞬間を作ることはできますか?人によって、身体を動かす、おいしいものを食べる、お酒を飲む、音楽を聴く、家族との時間を楽しむ、などいろいろな方法があるかと思います。私は家族、特にまだ3歳の娘と過ごす時間が大好きで、もちろん心躍るのですが、今回はもっとパーソナルな部分のお話をしたいと思います。清水教授のコラムは松本に対する興味がグっと沸くような、一方で久米田先生や瀬志本先生はクスッと笑えるような内容でしたが、私はそういうのが得意ではないので、ちょっと…いやだいぶ堅い話になります(笑)。

突然のカミングアウトになりますが、私はおよそ5年前の夏、千葉県いすみ市の教会でプロテスタントのキリスト教徒として洗礼を受けました。経緯については割愛しますが、神様という存在に全く興味がなかった無宗教者の自分が洗礼を受けたということは、人生において大きな転機でした。とはいっても、直後から世界が常に輝いて見えるようになったとか、人が変わったように常に温厚な気持ちで他人と接することができるようになったとか、意識高い系の人に生まれ変わったというわけでは決してありません。自分の中で、常に信じて疑わないものができたこと、そして、嬉しいことは何倍にも膨らませてくれて、辛いときには絶えずそばにいて私を許し、心を穏やかにしてくれる存在がいることに気付けた、というのが唯一かつ大きな変化です。このコラムを見てくださった方から「三島はちょっとやばい人なんじゃないか」と思われかねないこのカミングアウトと「心を躍らせること」というタイトルが一体どうつながるのか、ということですが、誰しも人には言えない悲しみ、あるいは人にうまく伝えられない喜びが必ずあると思います。私はそれを、ふとした時に神様によかったら聞いてください、とお尋ねします。すると必ず耳を傾けてくれて、いつの間にか喜びを共有でき、そしてつらいことは話しているうちに楽しくなり、最後には感謝して心が躍っているのです。…やっぱりやばい人ですかね(笑)。

つまりなにが言いたいかというと、楽しいことよりもつらいことの方が多い今の社会に対して、ふとしたときに心を躍らせることができるような揺るぎない拠り所を作って乗り越えていきましょう、ということです。なんだか雑なまとめになってしまいました(笑)。

最後に、私が毎回読むたびに感銘を受けている、ニューヨーク州立大学病院の物理療法リハビリテーション研究所の壁に書かれている詩を添えて、おしまいにしたいと思います。

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
「苦難にある者たちの告白」

I asked God for strength, that I might achieve
大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに

I was made weak, that I might learn humbly to obey...
慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった。

I asked for health, that I might do greater things
より偉大なことができるように健康を求めたのに

I was given infirmity, that I might do better things...
よりよきことができるようにと病弱を与えられた。

I asked for riches, that I might be happy
幸せになろうとして富を求めたのに、

I was given poverty, that I might be wise...
賢明であるようにと貧困を授かった。

I asked for power, that I might have the praise of men
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、

I was given weakness, that I might feel the need of God...
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

I asked for all things, that I might enjoy life
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、

I was given life, that I might enjoy all things...
あらゆることを喜べるように命を授かった。

I got nothing that I asked for......but everything I had hoped for
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
神の意にそわない者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。

I am among all men, most richly blessed!
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ!

(文責:三島修治)

ページトップへ戻る