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2023.12.13 日常

病院という特殊な環境,医者という特殊な職業【12月コラム】

第10回コラム

病院という特殊な環境,医者という特殊な職業


 信州大学呼吸器外科のホームページを訪れてくださった皆様,そしてこのコラムをお読みいただいている皆様,ありがとうございます.皆さんは,これから当科で手術を受ける患者さんやそのご家族,医学部の学生さんや,将来専門とする診療科を探している研修医の皆さんなどが多いのではないでしょうか.

 実は私がホームページ係の原先生に依頼され,9月下旬にはほぼこのコラムを書き上げたあと,9月の原先生のコラム「目指せ日本語マスター」を読むことになり,多少共通する部分があるなと感じました.今回のコラムの主なテーマのひとつは,複雑で高度な言語である“日本語”による“患者さんと医療者のコミュニケーション”です.

 当科では毎週火曜日の朝にミニレクチャーと称した勉強会を開催しています.コロナ禍で急速に進歩したWebミーティング(Zoom)を使用して行っており,参加するのは信州大学呼吸器外科スタッフおよび県内の関連病院に勤務する呼吸器外科の先生たちです.テーマは自由,毎週持ち回りで,病気や手術に関することだけでなく,学会発表のコツや,社会人としてのマナーに関することまで様々なテーマが取り上げられます.そこで今回は,以前に私が担当したミニレクチャー「医療におけるコミュニケーション」の内容について少し紹介させてもらいます.

 ミニレクチャーでは医療者と患者さんのコミュニケーションなどに関する患者さん目線,あるいは医療者目線で書かれたいくつかの書籍から,私自身が共感したり,“なるほど“と思った文章を取り上げました.患者さんにとって非日常的な環境である”病院“という特殊な環境についてや,医療者が意識しなければならない事などについても取り上げています.私のミニレクチャーで取り上げた多くの文章は書籍からそのまま引用させてもらいましたが,一部抜粋,一部改変して以下に紹介します.<括弧>付けした項目は私が整理のために付けました.
(内容は患者さんの立場,医療者の立場,で書かれたものや,入院・外来での状況をごちゃ混ぜに箇条書きしましたので,少し混乱するかもしれませんがご容赦ください)

 

<病院という非日常>
・たまたま病気になり,病院という非日常的な場所に身を置いているだけで,体の不調とは別に緊張や不安を覚える.
異文化圏に飛び込んだ状況と似ている.独自の価値観,論理,言語,習慣がある.
・悪気はないのに見えてしまった,聞こえてしまった ⇒ 見られた方も,見た方も(聞かれた方も,聞いた方も),実に不愉快.
・ここは病院だから,医療の現場だから我慢してください,と言われることがありますが,病院や医療がなぜ我慢する理由になり得るのか?
・患者さんは苦労して心を開き,プライバシーをさらけ出している.このリスクを伴った行動は,治って日常に戻るという大きな目的のためにあえて決断されたものである.
・秘密を守られるのは権利.赤の他人に見られる,聞かれるという状況はプライバシーの侵害.

<医者と患者のコミュニケーションギャップ>
・時代と関係なく,医者の最も大事な仕事の一つは,患者とのコミュニケーションである.
・コミュニケーションに誤解はつきもの.
・医療者と患者さんで病気の大小についてイメージが一致していることはまずない.
・患者が求める医療者は「ふつうに話のできるひと」.
・ナースが医者を観察し評価する基準の第一番は「患者と話ができるかどうか」である.
・一見問題の無さそうな医療面接 ⇒ 患者にとってあまりコミュニケーションがうまくいった気がしないことがある.
・医師という職業は,ほとんど人に頭を下げることのない仕事であることが医師自身を無神経にしている.
・患者と医師ではそれぞれが持つ情報の内容,量,質が大きく異なる.医療に際して目標とすることさえ違う場合がある.その隔たりは違う世界に生きている者同士と思えるほどである.
・患者の思いや事情は千差万別:癌が心配?痛みが良くなれば良い?これからの生活が心配?仕事は?育児や介護は?医療費は? ⇒ 医師中心の会話の後に起きるのは,医学的には適切な診療かもしれないが,患者の思いが切り捨てられていくことでもある.
・治療をする中で患者が何を得て,何を失うのか?一人一人の患者の全体像を見失うことなく,考えなければいけない.
・病院にはメニューもないし,サービス内容の基準がない.料金表もない.患者の病状だけを考え,医療費に頓着しない医師の感覚は,一般生活者の感覚から乖離している.
・異常(病気)があることと,それを是正(治療)すべきかどうかは単純に決定することが困難な問題.
・「異常の是正」が優先され,ときに患者の満足感希望がなおざりにされかねない.
・現代の医学は普通の人の理解が到底不可能な域に達してしまっている.その中で患者は自己決定を迫られる時代になった.その解決は信頼と対話の中にしかあり得ない.何より大事なことは,心と心のつながりである.

<医学用語の難しさ>
・相手に自分の話を伝えるには,相手と同じ言葉を使う必要がある.
・目の前の患者さんを「疾患」や「症例」として見てしまうと,専門用語や素人にはわかりにくい表現が出やすくなる.
・患者さんと話をする時には,患者さんの言葉に置き換える,いわば通訳の能力も求められる.
・医療言語は医療以外の文化の人にとって外国語に等しいくらい耳慣れない.
・程度を表す言葉:話す人と聞く人の物差しが同じとは限らない
・医学用語はとにかく難しい.同僚や医療関係者と話をするときの用語や言い回しが当たり前になると,患者にもその話が通じるように錯覚してしまう.
・医師は一般の人が使わない言葉の世界で生きていることを忘れるようである.
・わからないと思っても,わざわざ聞き返したり,説明を求める患者さんは日本では少数.

<医者の言葉>
・患者さんは医療者の言動で一喜一憂する.
・医師の言葉には人の心を癒す特別な力がある.
・それほど意識したわけではないあなた(医療者)の微笑みを患者さんは何度も嬉しそうに家族に話しているかもしれない.普段の穏やかさとは違うきつい口調を思い出して眠れずに悶々としているかもしれない.
・医師の一言は天使の言葉にもなるが,悪魔の言葉にもなりうる.患者を絶望の淵に追いやることもある.しかも医師自身がそのことに気付かないことが多い.
・相づちをうって傾聴することで,患者の心が安らぐのなら嬉しいことであるし,身体だけでなく心を安らげることを助けるのが医師と患者の間の信頼に基づいたコミュニケーションだと思う.

※参考書籍

佐伯晴子:あなたの患者になりたい-患者の視点で語る医療コミュニケーション(医学書院)
磯部光章:話を聞かない医師 思いが言えない患者 (集英社新書)
里見清一:医者と患者のコミュニケーション論(新潮新書)

 

 患者さんのヒントになる,というよりは医療者が意識しなくてはいけないような項目が多くなってしまいました.

 

 少し前のことですが,私の家族ががんの闘病生活を送りました.病院に通院,あるいは入院中に担当の先生から言われた言葉や説明を,患者とその家族は家に帰ってからお互いに反芻し,メモにまとめ,自分達なりに理解しようとしていました.遠くに暮らす私は電話で様子を聞いたり,後からそのメモを見せてもらいましたが,細かい部分で聞き間違いなど(検査や病名などの言葉の間違いなど)はあったものの,不安を抱えながら必死に病気を理解し,病気と闘おうとしていることが伺い知れました.またその経過中,本人たちから何度も聞かされましたが,医療者(看護師さんなども含む)の本当に些細な言葉や態度で,どれだけ患者や家族が一喜一憂するのか,ということを感じました.例えば,外来での診察で病気に関する悪い説明があった日にも,先生との会話の中で“良いコミュニケーション”が得られたと感じた日に“今晩は乾杯しなきゃ”と喜んでいた時もありました.

 私自身が心掛けていることは,不安を抱えた患者さんが,少なくとも聞きたいことを聞いて,言いたいことを言って,診察や治療を終えることが出来る雰囲気を作りたい,ということです.もちろん医療に関する言葉や表現は難しいことが多く,そのすべてを理解し記憶するのは不可能かもしれませんが,なるべく専門用語を使わずに,分りやすい表現をしよう,と工夫しているつもりです.

 人と人とのコミュニケーションにおいては,言ったつもり,聞いたつもり,伝わったはず,では少し不十分です.患者さんは,心配な事,気になった事,は我慢せず,躊躇わず,積極的に質問して下さい.分からない事(医学用語なども)はどんどん聞き直してください.そして医療者はそれに一つ一つしっかり答える(応える)義務があります.それが医療におけるコミュニケーションを円滑に進めることに繋がると思います.

 

 では,そろそろおしまいにしたいと思います.

 このコラムを見ていただいた患者さんやそのご家族にとっては,これから病院の先生とコミュニケーションととっていくためのヒントに,またこれから医者を目指す,あるいは外科医,呼吸器外科医を目指す医学生や研修医の皆さんには,将来の患者さんとの関り方において,何か感じるもの,ヒントになることが1つでもあったのならば嬉しいです.

環水平アーク(コラムとはまったく関係ありません)

(文責:濱中一敏)

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