はじめに
『肝臓』は右上腹部、横隔膜の下にある人体で最大の臓器です。肝臓にはタンパク質などの合成や貯蔵、アンモニアやアルコールなどの有害物質の解毒や分解、消化に必要な胆汁の産生という3つの主な機能を持っています。その複雑な機能のため、肝臓には腎不全時に行う血液透析のような代替手段がなく、肝臓がなんらかの理由で機能不全に陥った場合には、患者さんの肝臓を健康な肝臓と取り替える『肝移植』が唯一の救命手段です。
『臓器移植』とは、臓器の機能が低下して苦しんでいる患者さんに健康な臓器を移植し、臓器の働きを回復させる治療方法です。移植を受ける人を『レシピエント』といい、臓器の提供者を『ドナー』、移植される臓器を『グラフト』と呼びます。
『肝移植』では、レシピエントの肝臓は通常すべて摘出し、ドナーから提供されたグラフトを元々肝臓があった場所に移植します。新しい肝臓は順調であれば30年以上機能することが知られています。
私たちの体は自分以外のものを排除する『免疫』というシステムを持っています(風邪をひいても自然に治るのはこの免疫のおかげです)。そのため、移植された新しい肝臓は何もしなければ自分の免疫に攻撃され、たちまち機能を失ってしまいます。この反応を『拒絶反応』と呼びます。拒絶反応は『免疫抑制剤』を投与することにより抑えることができますが、生涯に渡りこの免疫抑制剤を飲み続けなければいけません。また、免疫抑制剤は免疫の本来の役割である細菌やウイルスなどに対する抵抗力も弱めてしまうため、移植術後は感染症などに十分に注意する必要があります。
さらに詳しい内容や最新情報については下記のリンクをご覧ください。
肝移植の対象
肝移植は多くの疾患で保険診療として認められるようになりました。しかし、肝臓に病気を持っているすべての患者さんに肝移植が必要なわけではありません。健康な肝臓を提供していただけるドナーが必要であるという肝移植の特殊性もあり、多くの病院で肝移植の適応に一定の基準を設けています。
当院での主な基準は
- 1.自分の意思で移植を希望している
- 2.肝不全が進み肝移植以外の治療法では救命できない
- 3.基本的には70歳以下
- 4.心、肺、腎機能が手術に耐えられる
- 5.肝炎以外の感染症がない
- 6.肝臓以外にがんがない
- 7.肝移植後に意識が戻ることを期待できる
- 8.禁煙・禁酒できている
この他にも肝障害の原因(原疾患)や全身状態、合併症の有無など様々な要因が移植適応に関係してくるため、詳細は移植医療センターにお電話やメールでお気軽にお尋ねください。
- 1.説明をお聞きになり最終的に肝移植を「受ける」か「受けない」かを決める権利は、患者さんご本人にあります(小児や劇症肝炎などに伴う意識障害で意思決定が困難な場合は、親権者やご家族の方)。肝移植は必ず受けるべき治療でもなければ、周囲から強要されるものでもありません。
- 2.肝不全の進行度を示す指標としてよく用いられるものにChild-Pugh分類とMELDスコアがあり、Child-Pugh分類でGrade B~C、MELDスコアで15点以上が一般的に肝移植を考える目安といわれています(下記のリンク先でMELDスコアの計算が可能です)。
- 3、4.肝移植の手術は長時間におよぶ大手術です。そのため心臓や肺、腎臓などの肝臓以外の機能は健全であることが望ましいとされています。年齢に上限を設けているのもこのためです。
- 5.拒絶反応を抑えるために、移植直後には大量の免疫抑制剤を使用する必要があります。免疫抑制剤により体の免疫力が低下するため、普段では問題とならない軽微な感染症でも重症化してしまい生死に重大な影響を及ぼします。
- 6.肝移植までに肝臓以外のがんが完治していれば問題ありませんが、がんが残っていたり、転移や再発をしている場合には、残念ですが肝移植を受けることはできません。
- 7.肝不全に伴う意識障害(肝性脳症など)の場合は、肝臓を移植することで意識が回復することを望めますが、それ以外の要因(脳出血など)で脳に障害が出ている場合には、肝臓を移植しても意識状態を改善させることができません。
- 8.喫煙や飲酒は移植された肝臓に悪影響を与えるため、移植後もタバコやお酒は禁止です。特にアルコール性肝障害の患者さんでは移植前に生体肝移植で6ヶ月以上、脳死肝移植では18ヶ月以上の禁酒期間を設けています。
診断・治療の流れ
初診外来
診察所見や血液検査データなどから、肝移植が早急に必要な状況かまず確認させていただきます。
患者さんの状態に合わせてその後の診療プランを作成します。
緊急性が高い場合には、こちらから往診に伺うこともできます。
肝移植のご説明
私たちは馴染みのない肝移植でもご理解いただけるよう、わかりやすく丁寧な説明を心がけ、患者さんやご家族に十分にご納得いただいた上で診療にあたっています。肝移植の手術を乗り切るには周りのサポートも大切です。説明はぜひご家族でお聞きください。
説明の前後を問わずご質問は随時受け付けています。ご不明な点がございましたら遠慮なく移植医療センターへお電話かメールでお問い合わせください。
術前検査
近いうちに肝移植が必要であると判断された場合、検査入院または外来で全身を入念にチェックします。
血液検査や、尿検査、CT、MRI、US(超音波検査)といった一般的な検査から、上部下部内視鏡(胃カメラ、大腸カメラ)、心エコーや心臓カテーテル検査、呼吸機能検査、歯科受診、精神科受診など少し踏み込んだ内容の検査まで行います。肝障害を引き起こしている原因(原疾患)がわかっていない場合には、さらに詳しい検査を行うこともあります。
当院でこれらすべての検査を行う必要はありません。遠方の患者さんや体調が優れない方など、当院への通院が難しい患者さんは、かかりつけの医療機関でこれらの検査を(一部の検査を除き)受けることができます。
生体肝移植の場合には、生体ドナー候補の方の検査も行い、肝臓の状態と安全に手術ができるかを確認します。
(生体肝移植:健常者(生体ドナー)から肝臓の一部を切り出し移植する方法)
適応委員会での審議
詳細な検査を元に適応や手術方法などが検討され、肝移植適応委員会で審議されます。
適応委員会は移植外科以外の医師で構成される院内委員会で、診断は間違っていないか、肝移植という治療法は適正か、レシピエントもドナーも自分の意思で肝移植を望んでいるか、手術に耐えられるかなどを審議します。
日本臓器移植ネットワーク(JOT)への登録(脳死肝移植の場合のみ)
肝移植適応委員会の承認が得られたら、JOTの待機リストに登録され、脳死ドナーが現れるのを待ちます。優先順位は主にMELDスコアに基づいて決定されますが、原疾患や合併症などの有無により多少異なる部分があるため、脳死肝移植をご希望される場合には個別でご説明させていただきます。
(脳死肝移植:脳死者(脳死ドナー)から提供された肝臓を移植する方法)
肝移植術
最終的な意思確認の後、肝移植術が行われます。
肝移植の方法
肝移植には大きく分けて2つの方法があります。
脳死肝移植
脳死者(脳死ドナー)から提供された肝臓を移植する方法。
その他、特殊な方法として、自己肝温存移植(限られた病気において、自分の肝臓を一部残して移植する方法)やドミノ移植(家族性アミロイドポリニューロパシー(FAP)などの患者さん(第1レシピエント)が肝移植を受けた際に、第1レシピエントから摘出した肝臓を、別の患者さん(第2レシピエント)に移植する方法)などがあります。
生体肝移植と脳死肝移植にはそれぞれメリットとデメリットがあります。
生体肝移植は健康な生体ドナーを傷つけるという問題がありますが、脳死肝移植は脳死になった方からの命のプレゼントであり、健康な人を傷つけるということがありません。
生体肝移植は適切な生体ドナーがいないと行えませんが、脳死肝移植は肝移植の適応があれば誰でもチャンスがあります。
生体肝移植では一つの肝臓で、生体ドナーもレシピエントも生きるようにしなければならず、レシピエントがもらえる肝臓(グラフト)の大きさは脳死肝移植より生体肝移植では通常小さくなります。
生体肝移植は患者さんのコンディションを考えて計画的に良い時期に移植が行えますが、脳死肝移植はいつ脳死ドナーが出現するかわからず、手術の予定をあらかじめ組むことはできません。そのため、患者さんの全身状態や社会的事情が万全でない時に、手術になることもあります。また、脳死ドナーが非常に少ない日本の現状では、肝移植を受けるまでの待機期間が非常に長期となり、待機中に命を落とす可能性もあります。
脳死肝移植の場合、脳死ドナーに十分な検査が行えず、また、脳死に至る経過の中で肝臓がダメージを受けている可能性があります。臓器摘出後搬送にかかる時間も生体肝移植に比べ時間を要し、このことも肝臓がダメージを受ける原因となります。そのため生体肝移植の方がグラフトの質は良い可能性があります。
このような違いを踏まえた上で、患者さんの状況に合わせた方法をご提案させていただきます。
生体肝移植 | 脳死肝移植 | |
---|---|---|
ドナーの後遺症 | 健康なヒトに傷跡を含め何らかの障害が残る | ドナーの後遺症を考慮する必要は無い |
移植施行の可能性 | 適切なドナー候補がいれば高い いなければ不可能 |
臓器移植ネットワーク 登録者の約12% |
移植までの待機期間 | 短い | 数日〜数年 |
移植手術の緊急性 | 通常待機手術 | 緊急手術 |
移植手術の難易度 | 再建する脈管が細く短く脳死肝移植より難 | 再建する脈管は太く長い |
グラフトの大きさ | 小さい〜やや小さい | やや小さい〜やや大きい |
グラフトの質 | 術前に改善可 | ケースバイケース |
保存時間 | 短い | 長い |
肝がん ミラノ基準逸脱例 5-5-500基準 逸脱例 |
健康保険適用外だが、 施設の基準により施行可能 |
登録、施行不可能 |
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ミラノ基準:肝がんが単発であれば最大径が5cm以下、複数ある場合は個数が3個以下で最大経が3cm以下
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5-5-500基準:肝がんが最大径5cm以下5個以内かつαーフェトプロテイン(AFP)が500ng/mL以下
退院後の注意点
体力低下に気をつけましょう
すぐに元の健康な状態に戻るわけではありません。特に退院直後は何かと疲れやすく、体調を崩しやすいので注意が必要です。焦らずゆっくりと体を慣らしていきましょう。
免疫抑制剤を毎日欠かさず飲みましょう
免疫抑制剤は決められた時間に決められた量を毎日欠かさず飲む必要があります。これは移植された新しい肝臓を自分の免疫から守るためであり、免疫抑制剤は一生涯飲み続ける必要があります。
感染症に気をつけましょう
免疫抑制剤により、体の免疫力が落ち、感染症にかかりやすい状態になっています。極力人混みを避け、マスクを着用し、手洗いうがいを行うなど日頃から感染予防を心がけましょう。
薬の飲み合わせに注意が必要です
市販薬(サプリメント含む)の中には肝臓に悪影響を与えるのもがあります。他の病院で出された薬や予防接種にも注意が必要な時があり、服用前に主治医にご相談ください。
妊娠や出産
肝機能が落ち着いていれば妊娠出産は可能です。免疫抑制剤の中には胎児に悪影響を及ぼすものもあるため、妊娠のご希望がある場合にはあらかじめ主治医にご相談ください。
生体ドナー
生体肝移植の場合、健康な方(生体ドナー)の肝臓(グラフト)が必要になります。
病気でない方の体を傷つける行為自体が、倫理的にも医学的にも条件を満たされた場合にのみ許される特例です。ましてや生体ドナーに後遺症を残すことなどあってはなりません。
私たちはドナーの安全を最優先に考え、術前に綿密な検査を行い、手術も極力負担の少ない方法で行っています。
しかし、ドナー手術が100%安全であるという保証はなく、少なからず(軽症なものも含めて10%前後の方に)合併症が起こるといわれています。
生体ドナーの方は順調であれば術後1~2週間で退院でき、退院1〜2ヶ月後に最終的には職場復帰も含め通常の生活に戻ることができます。実際に当院で生体ドナーになられた方に取ったアンケート調査では、97%の方が健康な状態に戻っているとお答えになっています。
ドナーになることをお考えの方は、ぜひ患者さんと一緒に初診外来にお越しください。さらに詳しくご説明させていただきます。また、移植医療センターでも質問を随時受け付けていますので遠慮なくお問い合わせください。
生体ドナーの条件
倫理的条件
臓器提供の自発的な意思
自分の意志で肝臓を提供することを決意されたかが最も大切です。
また、臓器提供は報酬を目的とするものでもありません。
そのため、ドナーになることを強要されたり、レシピエント(肝臓をもらう方)と利害関係や金銭の授受があってはいけません。
レシピエントと血縁関係であること
生体ドナーになりうる人は原則的に親族に限定され、全く無関係の方から肝臓をもらうことはできません。
当院ではレシピエントの配偶者か4親等内の血族(親、子、兄弟、祖父母、孫、おじ、おば、従兄弟)を基本とし、それ以外のドナー候補者については症例ごとに信大病院倫理委員会で検討されます。
(親族とは法的に6親等内の血族と配偶者、3親等内の姻族を指します)
年齢条件
20歳以上60歳以下(条件によって65歳まで)
未成年や自己決定能力に疑いがある場合はドナーになることはできません。
また、心臓や肺の機能などが際立って優れている場合に限り、65歳までドナーになることができます。
医学的条件
健康であること
肝臓が十分な大きさ
必要な肝臓の大きさは人によって決まっており、体格が大きな方ほど大きな肝臓が必要になります。生体肝移植ではドナーの肝臓を2つに切り分けて、そのうちの一つをレシピエントに移植しますが、ドナーに残る肝臓もレシピエントに提供した肝臓も大きさが十分でなければいけません。
血液型
血液型が合っていること(血液型一致・適合)が望ましいとされていますが、近年、血液型が合わないドナーからの肝移植(血液型不適合肝移植)でも免疫抑制剤の工夫などにより、通常の血液型一致・適合肝移植に近い良好な成績が得られるようになってきています。
当院では血液型不適合肝移植も行っており、血液型については従来より条件が緩くなりました。
禁酒・禁煙できている
費用
肝移植は肝臓に障害を及ぼす多くの疾患で保険診療として認められています。一部の健康保険が使えない疾患では移植手術に関わる全ての費用が自費となるため、1500万円~3000万円程度かかります。
健康保険以外にも高額療養費制度のような様々な医療費支援の制度があり、病気の種類や合併症、収入、年齢、お住まいの市町村などにより使える制度が異なります。中には移植を受ける前から使える制度もあるため、詳しくお知りになりたい方はお近くの行政窓口にお問い合わせください。当院移植医療センターでも随時ご質問を受け付けています。
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- 先天性胆道閉鎖症
- 進行性肝内胆汁うっ滞症(原発性胆汁性胆管炎と原発性硬化性胆管炎を含む)
- アラジール症候群
- バッドキアリー症候群
- 先天性代謝性肝疾患(家族性アミロイドポリニューロパチーを含む)
- 多発性嚢胞肝、カロリー病
- 肝硬変(非代償期)
- 劇症肝炎(ウイルス性、自己免疫性、薬剤性、成因不明を含む)
- 肝がん(転移性のものを除き非代償期肝硬変に合併するもので、遠隔転移と血管浸襲を認めず、肝内に径5cm以下1個、径3cm以下3個以内、または、径5cm以下5個以内かつαーフェトプロテイン(AFP)の検査結果が500ng/mL以下である場合に限る。)
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生体ドナーの検査・入院・手術の費用はレシピエントの医療費に合算されてレシピエントへ請求されます。
しかし、ドナー検査を行ったものの何らかの理由でドナーになれなかった人の検査・入院費用は、全額がドナーの自費となります。
生体ドナーが術後に一旦退院した後は、ドナー手術に関わる合併症でもドナー本人の保険を使用します。
一般の生命保険会社の多くはドナー手術のための費用を生命保険等の傷病補償の対象としていません。 -
以下の経費は健康保険が適用されません
- 日本臓器移植ネットワークへの新規登録料3万円
- 日本臓器移植ネットワークへの登録更新料(1年毎)5千円
- 臓器摘出の際の医師団の旅費および臓器の搬送に関わる費用(療養費払い)
- 臓器移植ネットワークへのコーディネート経費10万円
肝移植の成績
術後管理や免疫抑制剤の進歩により肝移植の成績は年々向上し安定してきています。当科の肝移植を受けた後の累積生存率は全国平均と比較しても良好な成績を収めています。
倫理的配慮について
本治療を施行するにあたっては、以下に記す法律や関連する指針(ガイドライン)、関連学会等から出されている指針(ガイドライン)を遵守します。
- 「臓器の移植に関する法律」(1997年、2009年改正)
- 「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)(1997 年、2010 年改定)
- WHO 指導指針(1991年、2010年改定)
- 国際移植学会倫理指針(1994年)
- イスタンブール宣言(2008年)
- 生体肝移植ガイドライン(平成20年5月18日、日本移植学会)
- 生体肝提供(ドナー)手術に関する指針(2003年4月、日本肝移植研究会)
- 日本移植学会倫理指針
関連リンク
- 信州大学医学部附属病院移植医療センター
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(一社)日本移植学会
臓器移植についてのQ&Aや用語集、データなどが一般の方向けにわかりやすく掲載されています。 -
(公社)日本臓器移植ネットワーク
主に脳死移植についての情報が一般の方向けにわかりやすく掲載されています。 -
難病情報センター
病気の解説や医療費補助制度などについての情報が幅広く掲載されています。 -
小児慢性特定疾病情報センター
慢性疾患を持つお子さんやそのご家族向けの情報が掲載されています。 -
MELD Score
肝臓移植希望患者の重症度の判定、優先順位の決定に用いられている指標。15点以上が肝移植を考える目安です。 -
メイヨー大学 移植医療 計算ツール
原発性胆汁性胆管炎(PBC)や原発性硬化性胆管炎(PSC)の予後予測式などが掲載されています。